『こころ』2,238日目


今朝の新潟市近郊阿賀野川対岸河川敷フィールド 強風10mの中 Team KOKORO ダミー練強行。


まあホントすごい強風でした。 真っ直ぐ前に歩けない… マーキングダミーは風で押し戻される… アヤツに笛がまったく聞こえない… そんな中 よくぞ走った 『こころ』ちゃん。今までで一番の強風下ダミー回収デシタ。
 ただ実際には 笛が届かない風上に向かって走らせたときには 影響出ましたが その他は ほとんどアヤツ 強風の影響ありませんでした。かなりの強風という事で今朝はほとんど ブラインド送り出しの練習に傾注したのですが アヤツ 車から降りた瞬間から いつもとうりの主従の間合い、気が途切れるようなことまったくなく むしろこれには私 少し驚かされました。Team KOKORO 朝ダミー練時のアヤツ 車から降りれば 後は 主従連携して ダミー確保することしか 一切頭にありません。オートマチックに主従のゾーンに入ってきます。この部分 お互いにもはや意識して特別なエネルギーなど使う必要ありません。普段からいつもこんな感じではあるのですが 今朝の強風下でも 入り込んでしまえば アヤツ 周りの状況何ぞ 無関係なんですね。 コレ 入れ食い状態とでもいいましょうか…。とは言っても 常に主人のヒールについて落ち着いていること、 スタート送り出し時に主人の指示された方向へ真っ直ぐ飛び出していくこと、スタート後 主従連携してターゲット確保に向かっていくこと等々 各部分は 物凄く冷静に振る舞います。意欲と冷静さが共存する状態とでもいいましょうか。 我が相棒ながら よくぞここまで来たものだ思います。
やはりFTのDNAなのでしょうか。
GRT試合時に 同じようにアヤツの持っている底力を安定して引き出すことが出来ていないのが Team KOKOROの実情ですが その原因はシンプルです。
 ヘボなハンドラーの力不足に起因は明らか…。しっかりしろ『自分』!



ブラインド送り出し練 65m x 135m 強風
この強風下 マーキング種目もいくらかは走らせましたが 今朝は この動画のような基本ブラインド送り出しで 指示された方向へ真っ直ぐ飛び出していく設定を積み重ねました。 この設定 送り出し時の胆は… アヤツの意識と私の右手の先の動きが完全にシンクロするようになることです。目指すのはシンクロ、意識の人犬一体。今週Teamで ここしばらくの完全ブラインド送り出し時の動画徹底的に見直しました。その結果はっきりした事は… 当たり前のことですが 送り出しに対して飛び出し方向がズレるケースのほとんどは アヤツの先読み意識が強い時です。今週修正したのは スタートでのアヤツの 先読みを切るための 緒対応です。動画では一見以前と変わりなく見えますが 実際には相当 アヤツの意識は変わっています。 効果はテキメン! 本日の送り出しでは 飛び出しの方向ズレ皆無。
 これは犬の気持ちの持っていき方ですから 安定させるためにはまだまだ いい状態を積み重ねていくしかありません。
 
 やはり 動画をTeamで見かえすことは重要。
Team KOKORO 一歩前進!



RC SUCCESSSION アルバム「RHAPSODY」… 我が青春の愛聴盤。(アナログLP!)

雨上がりの夜空に / RC SUCCESSSION   1980年 久保講堂 (アルバム「RHAPSODY」収録Live)
私 高校生の時 佐野元春はこじゃれすぎていてチョットという感じでしたが 同時期にブレイクしたRC SUCCESSSION はけっこう気に入ってましたね。
 「雨上がりの夜空に」はRCの大ヒットナンバーで 有名な問題作。この下品…?(ファンの皆様ゴメンナサイ)な歌詞が "オトナ"の顰蹙を買い 一部放送局(某国営放送だったような…) では ほとぼりが冷めるまでしばらく 放送されなかったようなエピソードが まことしやかに流れていたような記憶アリ。
動画は今は無き久保講堂でのLive映像。この模様は Live盤 アルバム「RHAPSODY」として発売され 大ヒット! RC大ブレイクの発端となりました。 かくいう私も高校生当時 LP盤夢中で聴いてました。 久保講堂でのRC Live 日本のRock史に残る名演だと私は思います。 RC SUCCESSSION と 忌野清志郎 、業界のプロやメディアによって作り上げられメジャーになったのではない Liveハウス上がりのメジャーバンド。 日本のRock史上ほぼ最初のケースではなかったでしょうか。

当時の RC SUCCESSSION 新潟公演、今は無き新潟市公会堂に於いて ほとんど高校生と思しき若者ばかり 2階まで満員の状態で Live スタート 。清志郎登場と同時に観客がステージに殺到してしまい すぐに運営スタッフの中断指示が入りました。そこで運営スタッフがコツコツと観客を説得し一旦席に戻るのですが また再開 清志郎登場と共にLiveハウス状態に逆戻りの繰り返し… 最後は 運営スタッフにステージ上から説教される始末。それでも何とか Liveは最後までおこなわれ、かくいう私も 2階席から 清志郎と共に「雨上がりの夜空に」を絶唱していた思い出ありや。
清志郎が亡くなってもうじき7年になりますが、そんなわけで私としては 清志郎が亡くなった時は 本当にさみしい気持ちになりました。
合掌。