『こころ』2,560目


Team KOKORO 昨夜遅く というより今朝方でしたが 八ヶ岳南麓から地元新潟へもどってきました。昨日まで八ヶ岳南麓では -6℃ でしたが 本日の新潟市 夕方で気温8℃。 時間が取れたんで 夕方田んぼの中の芝生公園フィールドへ 小雨の中アヤツを走らせてきたのですが なんか風がすごく生暖かく感じます。雪国新潟にも春の兆し…。



ハザード突破導入トレーニン
動画は先週末土曜日 新潟市西海岸沿岸松林での ハザード突破導入トレーニング(最初の一歩ともいう) の様子です。 今日の夕方走った 田んぼの中の芝生公園フィールドはきれいに刈り取られた芝生、アヤツ ここのとこ この松林のような 小ボサ、切り株が点在する 真っ直ぐ走るのが難しいフィールドや 雪の残るフィールド ばかり走ってきましたので 芝生公園フィールド ほんとに走りやすそうに 楽しんでました。
ただ実際にガンドックが使役するフィールドに 走りやすい真ったいらな芝生のフィールドなどありません。実際の猟場を想定して ターゲットや指示された方向に向かって糸を引くように真っ直ぐ走りこんでいく ガンドックの基本中の基本の動きを犬から引き出すためには、 この松林のような真っ直ぐ走りづらいフィールドでも 蛇行せずに真っ直ぐ走ることを求められているということを 犬に理解させられるかどうか が肝になるように思います。 とにかくまず 目の前の ハザードや小ボサを 真っ直ぐ跳び越えていくことに 抵抗感をなくすことが その第一歩ではないかという 考えの練習がこの動画です。 なんかアヤツから見れば ぜんぜん練習っぽくないんだけどね。無意識のうちに目の前へ放られたターゲットに向け 跳び出して行ったら ハザードも無意識に真っ直ぐ跳び越えちゃった っていう感じをイメージしてます。
 ですから跳びだしたらすぐに 小ボサ ハザード突破となるよう 出来るだけ小ボサ ハザードに近づいて送り出すのが大切と思います。犬にとって迂回蛇行や走路を選んで 走りこんでいくことに慣れてしまうより先に まずはこの練習ですね。
最初はなかなかうまくいってませんが ハンドラー側でうまくコツをつかんで送り出してやれば 基本のいい動きを無意識のうちに 犬に積み重ねさせることが出来るように感じました。



六月の詩  / カルメン・マキ & OZ 〜CARMEN MAKI 45th Anniv. Live

カルメン・マキっていうとチョット(?)年配の方には 1969年 「時には母のない子のように」で弱冠17歳にして紅白歌合戦に出場した歌手って言うイメージの方が多いかもしれませんが 私的にはカルメン・マキといえば OZです。そのカルメン・マキがデビュー45周年記念で昨年初めにリリースしたLive DVDの中に OZのメンバーとの演奏が数曲収録されてます。 その中の一曲「六月の詩」。 
 カルメン・マキ & OZ は70年代半ばまだ黎明期の日本のロックシーンで活躍したハードロックバンドです。当時私まだ中学高校生でしたが ロックといえばまあ普通は海外アーチェストのことを指し 邦楽ロックは海外アーチェストのサウンドと比べてしまうと ハッキリと見劣りしていた時代、 そんな当時の日本のロックシーンで数少ない例外、洋楽ロックとまったく見劣りしないクオリティー 人気で 全盛期のカルメン・マキ & OZ は輝いてました。 私よりチョイ上の世代なんですが 高校生当時ロックバンド小僧ギター野郎だった私らにとっては ホントに現実的な憧れのスターだったんですね。マキとともに中心メンバー で ほとんどの曲創りに参加していた ギターの春日博文、デビュー当時弱冠18才。私が夢中になって聴いていた当時は彼は20代前半、 神のような存在でしたが それでも歳は自分たちといくらも違わないじゃないですか!

カルメン・マキ(Vo)
春日博文(G)
川上茂幸(B)
武田"チャッピー"治(Dr)
厚見玲衣(key)

このメンバー見て 思わずゾクッとする方は 私と同世代の 元ロック小僧です。
それぞれメンバーも私も一緒に歳とったなあと 動画を見て改めて思いますが そのクオリティーの高いサウンドは 全盛期当時とまったく変わらず! スバラシイ。
カルメン・マキ & OZ を評して ある意味 日本のロックの到達点だっ…というコメント後日耳にしたことがあるのですが ホントその通りかもしれない。
私 越後長岡で高校生やってたころ バンド仲間と当時お世話になっていた楽器屋さんの関係で 東京から来たあるプロのロックバンドのLIVEのお手伝い(いわゆるローディーですね。前座もやらせてもらったかなあ?)にいったんですね。(OZではなかったんですが…) そのとき 春日博文さんもゲストで来ていて たまたま打ち上げに同席し 少しでしたが私ら地元のロック小僧と話しをさせてもらったことがあるんです。我らにとっては OZの(G) 春日博文ですから もう神のような存在だったんですが… それが実際の春日さん 高校生を相手に ホント礼儀正しい気さくな普通の お兄さんだったんですよ。あれだけの実績にして 上から目線や偉ぶった雰囲気一切なし。
我もかくありたし と思いました。いい思い出デス。

1977年 日比谷野外音楽堂