『こころ』2,262日目


最近ムチムチボディーの 「こころ」ちゃん

最近 ワンワンうるさい Team KOKORO Puls One  ヨーキー 「小太郎」


  またまた若干出遅れてしまいましたが 先週末日曜のTeam KOKORO ダミー練娯楽の様子 日記にしたためたいと思います。

 練習をおこなったのはいつもとうり新潟市近郊阿賀野川河川敷フィールドなのですが、動画のように前日練習をおこなった 真っ平らなフィールドとはまったく現場の状況が違います。
 この日の練習フィールド 新潟平野の一番奥 阿賀野川が 山間地から平野部に流れ込む直後の場所に位置する かなり鴨キジ実猟現場に雰囲気が近い原野です。動画の音声で聞き取れるように ひっきりなしにそこいらじゅうからキジたちの鳴き声が響き渡っています。普段はめったに人犬など入り込まないエリアを 我ら歩き回っているわけで 奴さんらにとっての我らは 警報アラーム 鳴りっぱなしの迷惑な存在以外の何物でもありませんね。ワッハッハ!

このように Team KOKORO 練習拠点となっている新潟市近郊阿賀野川河川敷フィールドは、広大な範囲に 雰囲気、地形、草丈 ブッシュ条件 の異なるエリアがいくつか点在し、我がTeam その時々の状況 練習目的により どこのエリアで練習設定するか自由に選択することが出来ます。私が新潟市自宅から30〜40分圏内で 練習出来そうな場所を 常にコツコツ探し回って目をつけてきた 積み重ねの結果ですが、都会に住む犬飼いのみなさんに比べると Team KOKORO 非常に恵まれています。


実践的送り出し練 30m x 55m x 85m

実践的マーキング練 55m x 85m x 85m
この日の練習趣旨は ブラインドもマーキングも全く同様で 実践的な雰囲気、地形、草丈 ブッシュのフィールドに於いて その自然のハザードの只中を 主従連携してターゲットポイントへ 一直線ピンポイントで走り込めるようになるための練習です。
 画面では分かりにくいのですが 動画のフィールドは中央奥のダミーポイント(白のビニール目印)が頂点の すり鉢をひっくり返したような緩やかな起伏地形になっています。特に85m設定コース時は、まず一旦起伏底の 枯れ枝ハザード帯を抜けてから すり鉢の頂点に向かって いくつかのブッシュをこえて真っ直ぐ駆け上がっていく必要があります。
我がTeam 昨年秋に同様の設定コースで走らせたときは 一旦起伏底の枯れ枝ハザード帯を抜けてから すり鉢のヘリに沿って左右に迂回 最後はターゲットポイントへまわり込むような走行経路にどうしてもなってしまいました。いづれにしてもダミー確保じたいは問題なく出来ていますが この課題の胆は ダミーそのものを確保することではありません。
先日の ひるがのGRTにご参加された方は お感じになったかもしれませんが 犬が 傾斜地を送り出された方向へ真っ直ぐ駆け上がっていくことは 平地での状況に比べ ひと回り難しくなります。 さて首尾やいかに…。

 犬に 起伏地を頂点のターゲットポイントに向かって一直線に駆け上がらせるのがこの課題の胆 ですので 動画のように 特に最初のブラインド送り出し時は 頂点まで30mの距離から走らせ 次第に スタート下げていく 我がTeam いつもの手法を取っています。当然ターゲットポイントは全て変えず同じ位置、さらに 目立つ白のビニール目印までつけておく念の入れよう。これで走らせた 85m完全ブラインド実践的送り出し、 課題意図とうり アヤツ 頂点のターゲットポイントに向かって一直線に駆け上がっていきました。
 その直後 今度はマーキングでまったく同じ設定を走らせ アヤツのアタマのど真ん中へ  こういったシュチュエーションでも 頂点のターゲットポイントに向かって一直線の推進力を発揮すること意識付けしてみました。アヤツの走行 首尾は上々 いい練習に出来たと思います。


OZ 聴きながら Wild Turkey 8年 … 生きてるだけで丸儲け!
今どきLP アナログ盤ですぜ!

崩壊の前日 / カルメン・マキ & OZ 1976 (作曲 g :春日博文)
カルメン・マキ & OZ」… 名前くらい聞いたことある方もいるかもしれません。そう「時には母のない子のように」で1969年NHK紅白歌合戦にも出場したあのカルメン・マキです。
その後彼女は ロックシンガーに転向  Wikipediaによると 1972年に 「カルメン・マキ & OZ」 を結成とあります。 またまた私 高校生の頃の話しなれど… OZも夢中で聴いてましたね。当然LP アナログ盤。上の画像は1977年のラストLive盤 中表紙 日比谷野音でのステージですね。お気に入りの一枚でした。
 当時僅かな小使いから買える レコードは当然限られていましたので 1枚の重みが今の感覚よりず〜と大きかったように思います。そんな中 まだまだ当時は 本場米英の外タレ 有名どころのレコードを後回しにして 邦楽ロックのアルバム購入など 仲間内のあいだでは相当勇気のいる行為だったんですね。そこでこの「カルメン・マキ & OZ」登場… 衝撃でしたね。ある意味日本のロックの到達点だっ…などとのメディアコメント後年目にする機会がありましたが 当時の高校生ロックファン意識を見事に言い当ててます。そのサウンド創り 本場米英の外タレ 有名どころと遜色ナシ。しかもギターの春日博文 デビュー当時弱冠18才! 自分たちと幾らも変わらないじゃないですか…。
その後 出入りしていた越後長岡の楽器屋さんイベントで、 OZとしてではなかったのですが 春日博文さんとのイベント打ち上げの場に同席したことがあるのですが…(高校生あくまでソフト?ドリンクで乾杯という事で) 本当に礼儀正しい二十歳すぎのお兄さんでしたよ。会う前は それこそロック小僧には 神のような存在だったんですが… 。これだけの実績にして 驕りや 上から目線の態度が一切ない。私もこうありたいと思いました。
懐かしい思い出です。